大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和49年(行ツ)99号 判決

上告人

主婦連合会

右代表者会長

奥むめお

上告人

奥むめお

右両名訴訟代理人弁護士

穂積忠夫

吉田正之

被上告人

公正取引委員会

右代表者委員長

橋口収

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人穂積忠夫、同吉田正之の上告理由一ないし三について

不当景品類及び不当表示防止法(以下「景表法」という。)一〇条一項により公正取引委員会が公正競争規約の認定に対する行政上の不服申立は、これにつき行政不服申審査法(以下「行審法」という。)の適用が排除され(景表法一一条)、専ら景表法一〇条六項の定める不服申立手続によるべきこととされている(行審法一条二項)が、行政上の不服申立の一種にほかならないのであるから、景表法の右条項にいう「第一項……の規定による公正取引委員会の処分について不服があるもの」とは、一般の行政処分についての不服申立の場合と同様に、当該処分について不服申立をする法律上の利益がある者、すなわち、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう、と解すべきである。けだし、現行法制のもとにおける行政上の不服申立制度は、原則として、国民の権利・利益の救済を図ることを主眼としたものであり、行政の適正な運営を確保することは行政上の不服申立に基づく国民の権利・利益の救済を通じて達成される間接的な効果にすぎないものと解すべく、したがつて、行政庁の処分に対し不服申立をすることができる者は、法律に特別の定めがない限り、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消等によつてこれを回復すべき法律上の利益をもつ者に限られるべきであり、そして、景表法の右規定が自己の法律上の利益にかかわりなく不服申立をすることができる旨を特に定めたもの、すなわち、いわゆる民衆争訟を認めたものと解しがたいことは、規定の体裁に照らし、明らかなところであるからである。

ところで、右にいう法律上保護された利益とは、行政法規が私人等権利主体の個人的利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障されている利益であつて、それは、行政法規が他の目的、特に公益の実現を目的として行政権の行使に制約を課している結果たまたま一定の者が受けることとなる反射的利益とは区別されるべきものである。この点を公正競争規約の認定に対する不服申立についてみると、景表法は、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独禁法」という。)が禁止する不公正な取引方法の一類型である不当顧客誘引行為のうち不当な景品及び表示によるものを適切かつ迅速に規制するために、独禁法に定める規制手続の特例を定めた法律であつて、景表法一条は、「一般消費者の利益を保護すること」をその目的として掲げている。ところが、まず、独禁法は、「公正且つ自由な競争を促進し……一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。」と規定し(一条)、公正な競争秩序の維持、すなわち公共の利益の実現を目的としているものであることが明らかである。したがつて、その特例を定める景表法も、本来、同様の目的をもつものと解するのが相当である。更に、景表法の規定を通覧すれば、同法は、三条において公正取引委員会は景品類の提供に関する事項を制限し又は景品類の提供を禁止することができることを、四条において事業者に対し自己の供給する商品又は役務の取引について不当な表示をしてはならないことを定めるとともに、六条において公正取引委員会は三条の規定による制限若しくは禁止又は四条の規定に違反する行為があるときは事業者に対し排除命令を発することができることを、九条一項、独禁法九〇条三号において排除命令の違反に対しては罰則の適用をもつてのぞむことを、それぞれ定め、また、景表法一〇条一項において事業者又は事業者団体が公正取引委員会の認定を受けて公正競争規約を締結し又は設定することができることを定め、同条二項において公正取引委員会が公正競争規約の認定をする場合の制約について定めている。これらは、同法が、事業者又は事業団体の権利ないし自由を制限する規定を設け、しかも、その実効性は公正取引委員会による右規定の適正な運用によつて確保されるべきであるとの見地から公正取引委員会に前記のような権限を与えるとともにその権限行使の要件を定める規定を設け、これにより公益の実現を図ろうとしていることを示すものと解すべきであつて、このように、景表法の目的とするところは公益の実現にあり、同法一条にいう一般消費者の利益の保護もそれが直接的な目的であるか間接的な目的であるかは別として、公益保護の一環としてのそれであるというべきである。してみると、同法の規定にいう一般消費者も国民を消費者としての側面からとらえたものというべきであり、景表法の規定により一般消費者が受ける利益は、公正取引委員会による同法の適正な運用によつて実現されるべき公益の保護を通じ国民一般が共通してもつにいたる抽象的、平均的、一般的な利益、換言すれば、同法の規定の目的である公益の保護の結果として生ずる反射的な利益ないし事実上の利益であつて、本来私人等権利主体の個人的な利益を保護することを目的とする法規により保障される法律上保護された利益とはいえないものである。もとより、一般消費者といつても、個々の消費者を離れて存在するものではないが、景表法上かかる個々の消費者の利益は、同法の規定が目的とする公益の側護を通じその結果として保護されるべきもの、換言すれば、公益に完全に包摂されるような性質のものにすぎないと解すべきである。したがつて、仮に、公正取引委員会による公正競争規約の認定が正当にされなかつたとしても、一般消費者としては、景表法の規定の適正な運用によつて得られるべき反射的な利益ないし事実上の利益が得られなかつたにとどまり、その本来有する法律上の地位には、なんら消長はないといわなければならない。そこで、単に一般消費者であるというだけでは、公正取引委員会による公正競争規約の認定につき景表法一〇条六項による不服申立をする法律上の利益をもつ者であるということはできないのであり、これを更に、「果汁等を飲用するという点において、他の一般の消費者と区別された特定範囲の者」と限定してみても、それは、単に反射的な利益をもつにすぎない一般消費者の範囲を一部相対的に限定したにとどまり、反射的な利益をもつにすぎない者であるという点において何ら変わりはないのであるから、これをもつて不服申立をする法律上の利益をもつ者と認めることはできないものといわなければならない。

また、上告人らの主張する商品を正しく特定させる権利、よりよい取引条件で果汁を購入する利益、果汁の内容について容易に理解することができる利益ないし表示により内容を知つて果汁を選択する権利等は、ひつきよう、景表法の規定又はその適正な運用による公益保護の結果生ずる反射的利益にすぎないものと解すべきであつて、これらの侵害があることをもつて不服申立をするについて法律上の利益があるものということはできず、上告人らは、本件公正競争規約の認定につき景表法一〇条六項に基づく不服申立をすることはできないものというべきである。

以上述べたところと同旨の原審の判断は、正当であり、論旨は、右と異なる見地に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同四について

所論の点に関する原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同五について

内田MFC研究所に対する件の審決が本来不服申立資格のない者による不服申立についても実体判断をすることができるとしたものであるとすれば、その判断は誤りであるというべきであつて、右の審決の判断に誤りのないことを前提としてそれとの対比において憲法一四条違反をいう所論は、その前提を欠き、失当である。本件審決が実体判断をしなかつたことをもつて憲法一四条違反の問題にならないとした原判決は、その結論において正当であり、論旨は採用することができない。

同六について

景表法一〇条六項に基づく不服申立に関する審判手続と独禁法違反事件に関する審判手続とは、原判決のいうように、その性格を異にするものであり、それが同一であることを前提として憲法一四条及び三一条違反をいう所論は、その前提を欠き、失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同七について

所論の点に関する原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(江里口清雄 天野武一 高辻正己 服部高顯 環昌一)

上告代理人穂積忠夫、同吉田正之の上告理由

原判決には、以下に述べるような法令の解釈、適用の誤り、理由不備および判例違背があり、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかなものである。

一、景表法の目的についての原判決の誤り

1 原判決は、理由の二(二)2において、「景表法は独占禁止法の特別法であるが、独占禁止法は私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、それによつて公正かつ自由な競争を促進することを直接の目的とするものであり、この目的を達成することによつて一般消費者の利益はおのずから確保されるものとの建前に立つものであり、景表法はこの不公正な取引方法の一つであるいわゆる顧客の不当誘引のうち不当景品類の提供及び不当な表示を定型化してこれを防止し、それによつて公正な競争を確保することを直接の目的とし、その目的を達成することによつて一般消費者の利益は当然確保されるものであつて、その点において、両者の建前は固より同一である。従つてここでは一般消費者の保護は右の直接の目的をとおして得られる間接の目的たる地位に止まるものであることは否定しえないところである。」と判示している。

2 しかし、右判示部分は、不当景品類及び不当表示防止法(以下「景表法」という。)の目的の解釈を誤つた結果、同法第一〇条六項の不服申立て資格について誤つた結論を導き出した違法がある。

3 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独禁法」という。)は、公正かつ自由な競争を促進することにより、「一般消費者の利益を確保するとともに国民経済の民主的で健全な発達を促進すること」(独禁法第一条)を目的とした法律である。このように、独禁法においては、一般消費者の利益を確保するという目的だけでなく、国民経済の民主的で健全な発達を促進するという目的をも掲げており、一見、二つの異なる目的が併列的に述べてあるように読める。しかし、「独占禁止政策が、『一般消費者の利益の確保』に役立つものであることは、多くの説明を要しない。しかし、ここで注意すべきことは、それがとくに目的として掲げられているということであつて、そこには、一般消費者の利益となる経済政策こそが、民主主義の原則に合致し、公共の福祉を実現するものであるとの考え方が示されている。」(今村成和「独占禁止法」法律学全集七頁)と説かれ、また、同様に、「ここで注意すべきことは、一般消費者の利益の確保は、国民経済の民主的で健全な発展と併列されるべき本法の目的ではなく、もとより相互に制約的な関係にあるものでもない点である。すなわち、『一般消費者の利益を確保する』ことは、『国民経済の民主的で健全な発達の促進』の中に含まれ、その根底をなすものである。いいかえれば、消費者の利益が確保されてはじめて国民経済の健全で民主的な発達が促進されうるとするのが、本法の基本的な態度であるということができる。」(正田彬「独占禁止法」七六頁)と説明されているとおり、二つの究極的な目的を掲げている独禁法において、すでに、「一般消費者の利益を確保すること」が同法の目的の根底をなしているのである。

4 独禁法の目的について右に述べたところは、基本的には、景表法にも妥当するが、景表法が公正な競争を確保することによつて達成される多様な経済効果のうちで、不当な景品類や表示による顧客の誘引防止という面における消費者保護の機能に着目し、消費者の利益保護そのものを目的としていることは、より一層明らかである。

このことは、「一般消費者の利益を保護すること」という唯一の目的を掲げている景表法第一条の文言それ自体からも認められる。景表法第一条の意義については、正田教授が次のように詳述されている。

「本条によつて本法が、公正な競争を確保し、もつて一般消費者の利益を保護することを目的とすることが明らかにされている。このことは、独占禁止法の目的と一致するものである。……

不当な景品類については、それが事業者による取引の客体をめぐる競争と無関係であり、ひいては資本力の競争へと転化して行くという意味において、公正な競争を侵害するものとして性格づけられ、また、消費者の弱点をとらえた取引方法であるという点においては、事業者の優越した地位の利用によつて、相手方に対して不利益(直接的な不利益とはいえなくても、究極的な意味における不利益)を与えるという意味では、取引上の地位の不当利用とも考えられるわけである。また、不当表示の問題は、まさに事業者の消費者に対する地位の不当利用の問題と関連し、消費者のがわにおける商品知識の欠如を利用して、商品の特定をめぐつて事業者が消費者に不利益を与えるような表示による取引を行なうという意味で、公正な競争と関係してくるわけである。

つぎに本条において注目されるべきことは、本条によつて、本法が一般消費者の利益を保護することを究極の目的としていることが明らかにされている点である。もともと公正な競争を確保するということは、一般消費者の利益の確保と必然的に結びつくものであり、一般消費者の利益の確保と必然的に結びつくがゆえに、経済法の一つの基本的な方向としてとらえるものであるということはすでにのべたところである……。一般消費者の利益保護は、独占段階における従属関係において、従属者の底辺を形成するものとしての一般消費者の保護にほかならず、単に個々の取引における消費者の保護のみを意味するわけではない。このような意味で、一般消費者の権利の擁護ないしはその利益の保護は、独占禁止法制においては、常にその根底に存在している目的であるが、とりわけ本法においては直接消費者を相手とした取引方法が問題とされているところから、とりたててこのことを明らかにし、本法の適用ないしは解釈に際しての基準としての『消費者の利益の保護』をうたつているものと解するべきである。」(正田彬「独占禁止法」九八四―九八五頁)

このように、景表法は、その対象を取引行為における景品と表示にしぼり、それらについて公正な競争を確保することによつて得られる種々の効果のうち、一般消費者(その意味については、後に述べる。)の利益保護という効果に着目し、その保護を図ることのみを目的として掲げている。いいかえれば、景表法において、公正な競争を確保したり、あるいは、これの確保のために、不当表示等について簡易、迅速な排除手続を設けたりしているのは、いずれも右の目的を達成するためにほかならないのであつて、一般消費者の利益保護に直接関係のない公正な競争の維持は(仮にそれが他の望ましい経済効果を生み出すとしても)、景表法上意味のないものである。ここから明らかなように、景表法にいう公正な競争の確保は、同法の直接の目的である一般消費者の利益保護を実現するための手段に過ぎない。

5 景表法の目的が叙上のようなものであることは、その立法の経緯に照らしてみても明らかである。景表法の立法は、昭和三五年におきた、いわゆる「にせ缶事件」に端を発している。同事件に関し、昭和三五年一二月二一日の衆議院商工委員会で当時の公正取引委員会委員長が述べたように(1)、消費者に対する欺まん的誘引取引行為から消費者を保護することは、当時の法律(独禁法等)では不十分であつた。このことは、独禁法が消費者保護をその究極目的とはしながらも、上告人らの原審における第一準備書面第一章で述べたように、商品識別能力が不十分であり、商品識別については全面的に事業者のおこなう表示に依存し、「何を」「いくらで」買うかの決定について完全に従属立場におかれている消費者を十分には保護できなかつたということであり、これら独禁法を含む既存の法律への反省から、このような消費者を効果的に保護することを直接の目的として景表法が制定されたのであつた(立法の経緯については、吉田文剛編「景品表示法の実務」二二頁以下)。このような景表法の目的は、第四〇通常国会において、同法の提案理由として、「公正な競争を確保し、もつて一般消費者の利益をいつそう保護するためには、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の特例として、迅速かつ適切な手続を定めまして、不当な景品付販売及び不当な表示について効果的な規制が行なえることといたす必要があると考えられますので、ここに本法案を提出いたした次第であります。」と述べられ、また、同国会衆議院商工委員会において、「本法は、消費者行政推進の一環として重要な任務をもち、しかも法の規制対象はきわめて広い分野にわたるものであるにもかかわらず、その施工に当たる公正取引委員会の機能は必ずしも十分とはいえず、効果的運用を期しえないおそれがある。このような現状にかんがみ、政府は、公正取引委員会の機能を大幅に強化拡充するために早急に予算措置などを講ずるべきである。」という付帯決議がつけられたことからも明らかである。

(1) 昭和三五年一二月二一日衆議院商工委員会議事録抜萃

田中(武)委員 これは牛カンを例にとつてあげたんですが、私は問題は広告――今日四マス時代といわれて、マス・プロ、マス・コミ、マス・セール、マス・コンですか、何か知らぬがとにかく四マス時代、マス・コミ時代といわれる。従つて広告が、新聞を見てもそうですが、テレビを見ても道を歩いておつても、これはすべて広告です。そこで広告と独禁法といいますか、それの行政的な指導取り締まり、こういうような問題について若干聞いてみたいと思います。(中略)日本の独禁法には、欺瞞的な、あるいは誇大広告、こういうことについて何ら規定がない。(中略)この誇大広告、欺瞞広告と独禁法との関係、これは少なくとも消費者の利益を害する。欺瞞広告、誇大広告は同時に企業間の公正な競争に反する。こういう二面から公正な取引でないといえると思う。従つて、独禁法並びに公正取引に関するこの法律の精神に違反するところの行為ではなかろうかと思うのですが、日本の独禁法の母法であるアメリカにおいては、すでにそういつた改正がなされておる。そこで独禁法の中にそういうことを入れる必要があると思います。それについて公正取引委員会の見解と、それから欺瞞あるいは誇大広告、これと独禁法との関係、公正取引との関係等について意見を伺いたいと思います。

佐藤説明委員……(前略)今度の牛カン事件を契機といたしまして、こういうふうな欺瞞的取引を取り締まるべきじやないかということをわれわれの方で考えて、実は研究しておるわけです。しかして、現在の独禁法におきましては、田中さんは非常にお詳しいが、二条七項の三号に「不当に競争者の顧客を自己と取引するように誘引し」云々という規定がございます。この規定によつて指定をするというのであります。ところがわれわれの考えからいうと、少しこの規定だけじや不十分じやないかという気もあるし、きのうも東大の先生は、この規定じや不十分だ、特別法を作るべきだということを強く主張しておられたのでありますが、私もある程度同感なのであります。そういう関係でありまして、公正取引委員会としては、さしあたり牛カンをやりましたが、これで終りというわけじやなくて、十分研究したいと思つております。場合によりましては特別法も考えられはしないかと思います。あるいは独禁法の改定で済むかもしれぬが、なかなか大きな問題でありますから十分研究はしたいと思います。」

6 以上述べたところから、景表法の直接かつ唯一の目的が一般消費者の利益の保護にあることが明らかであろう。むしろ、審決は、(結局において誤つた結論に達しているとはいえ)景表法の目的については、「その目的は、独占禁止法と同様に、公正な競争を確保し、もつて一般消費者の利益を保護することにある。」(九丁裏)と正しくこれをとらえているのであつて、原判決が一般消費者の保護が景表法の「間接の目的」に止まるものと解したことは、「独禁法―景表法が消費者保護法の系列に属し(消費者保護基本法一〇条、一一条をみよ)、生存権保障の一環としての消費者の権利保護を、その基本目的とすることへの理解の欠如を示す以外の何ものでもない。」(今村成和「消費者と不服申立て」朝日新聞昭和四九年八月九日論壇)というべきである(なお、今村成和「消費者の権利と不服申立資格」ジユリスト第五七〇号九一頁以下。)。原判決は、景表法の目的をこのように誤解した結果、「間接の目的」に過ぎない一般消費者の利益が侵害されても、それは、事実上の利益ないし反射利益の侵害に過ぎないから、一般消費者に不服申立ての資格はないと帰結を導いているのであるから、右の法解釈の誤りは、判決の結論に影響を及ぼすものであることが明らかである。

なお、原判決事実摘示第二、三において、景表法「一条は、不当な顧客誘引行為を禁止することにより一般消費者の利益を保護することを目的として掲げている。」と被告が主張したと記載されているとおり、景表法の条文上明示されている唯一の目的が一般消費者の利益保護にあることは、原被告間ですら見解の相違のない当然のことであり、原判決がこれを「間接の目的」に過ぎないとするからには、明文の規定を無視してまでそう解釈すべき相当の理由がなくてはならない筈であるが、それについては、なんら説明もない。さらに、一般消費者の利益保護を原判決のいうようにたとえ「間接」であれ景表法の目的であると認める以上、なぜそのように間接にせよ法律がその保護を「目的」としている利益の侵害が反射的利益の侵害に過ぎないということにるのか、この点についてもなんら説明もない。原判決は、これらの点について、結論に影響を及ぼす理由不備の違法があるといわなければならない。

二、公正競争規約の認定による一般消費者の利益侵害についての原判決の誤り

1 原判決は、理由の二(二)2において、「公正取引委員会の公正競争規約の認定は、一面において事業者の事業活動を制約するとともに、他面において認定された規約の限度においては不公正な取引方法たる顧客の不当誘引にならないとする効果を有することは所論のとおりであるが、右認定が正当になされなかつたとしても、一般消費者としては、正当な認定がなされれば得られるべき利益を得られないというだけで、その本来有した地位に消長はなく、すでに有する利益を害されるものとすることはできないのである。その意味で一般消費者に不服申立を認めないとしても、著しく正義に反すると非難することはできない。」と判示している。

2 しかし、右判示部分は、景表法第一条、第一〇条の解釈を誤つた結果、同第一〇条第六項の不服申立て資格について誤つた結論をを導き出した違法がある。

3 認定が正当になされなかつた例として、仮に、無果汁飲料について、「一〇〇パーセント純粋な天然ジユース」という表示を許容するような規約が認定されたとしよう。もしこのような規約が認定されなかつたならば、右のような表示は、明らかな不当表示として景表法上違法とされ、従つて果汁飲料の一般消費者は、そのような不当表示から保護されていたのに、右規約が認定された結果、原判決の判示するように事業者が右のような表示をおこなつても不公正な取引方法にならないとされるのであるから、果汁飲料の一般消費者は、景表法の下でその本来有した地位(無果汁飲料について右のような不当表示から保護されるという地位)に消長がないどころか、すでに有していた利益を害されることが明白である。また、果汁飲料の一般消費者は、不当な認定がなされたことにより、公正な競争が維持されることによつて事業者が消費者に対しより良い表示をおこなう努力を期待し得るという利益をも害されるであろう。公正競争規約の認定によつては、これら消費者の利益が害されることがあるので、これら消費者の利益を害するような公正競争規約の認定を景表法が認めないこと、すなわち公正競争規約認定につきこれら消費者の利益を法的に保護することを明示した具体的規定が景表法第一〇条第二項第四号である。原判決は、不当な認定が景表法第四条によつて不当表示から保護されている一般消費者の利益を害するという明らかな事実を見落したものといわなければならない。このように、「不当な公正競争規約の認定は、景表法四条により、不当表示から保護されている一般消費者の利益を害することであるから、一般消費者としては、当然に権利防衛の途が開かれてはならぬのである。」(今村成和「消費者と不服申立」朝日新聞昭和四九年八月九日論壇)。判旨は、「かりに、消費者の権利を反射的利益と考えるとしても、実定法の構造に反するもの」(今村成和「消費者の権利と不服申立資格」ジユリスト第五七〇号九二頁。)といわなければならない。

4 原判決の叙上の誤りは、原裁判所が公正競争規約の認定に対する不服申立ての基本的構造についての理解を誤つたことに由来するものと思われる。すなわち、公正競争規約は、参加事業者間の一種のカルテルであるところ、景表法は、合理性のある表示に関するカルテルについて、公取委の認定を条件として、特に禁止を解除しているのである。また、景表法は、消費者保護の観点から、不当な表示を禁止しており、不当な表示は、現実に公取委の排除命令が出るか否かにかかわらず、また、公正競争規約が作成されて、その中で禁止されるか否かにかかわらず、違法であり、景表法の下において禁止されているのである。原判決は、理由の二(二)2の右引用部分の直前において、「その〔公取委の〕権限の行使は直接事業者に対する所定の事項の禁止ないし排除に向けられるのであり、それによつて事業者が、それがなければ本来自由なるべき事業活動を規制され、その有する権利、利益が害される場合において、その者に不服申立による救済を保障しているというのが、その基本的構造である。」と判示しているが、事業者の事業活動は、不当表示が禁止され、また、カルテルが許されないという意味において、公正競争規約の認定以前においてすでに「本来自由」ではないのであつて、仮に認定が正当になされなかつたとしても、一般消費者の方こそその利益侵害があつても、事業者側は、その本来有した地位に消長はないのである。

5 従つて、原判決の理論に従えば、事業者は景表法第一〇条第六項に基づく不服申立ての資格を欠くことになる。他方、原判決が述べたように一般消費者も同項に基づく不服申立て資格がないと解釈すると同項の存在は全く無意味となるという奇妙な結果となる。景表法上定められている不服申立ての規定は全く無意味にするような解釈が不当であることは、論をまたないであろう。

6 ちなみに、原判決の「一般消費者としては、正当な認定がなされれば得られるべき利益を得られないというだけで、その本来有した地位に消長はなく、すでに有する利益を害されるものとすることはできない」という判示部分の意味が、法律上保護された利益だけのことを述べているのであつて、「景表法は、元来一般消費者を不当表示から保護することを目的とする法律ではないのだから、どのように違法な認定がなされ、その結果どのような不当表示にさらされようとも、それはすべて事実上のことであつて、不当表示から法律上保護されていないという本来の地位に消長はなく、また元来もつていない法律上の利益を害されよう筈もない」という趣旨であるとするならば、その不当なことは、すでに一において論じた景表法の目的からして明らかである。

7 原判決は、前に述べたような誤つた法の解釈に従つたうえ、「一般消費者に不服申立を認めないとしても、著しく正義に反すると非難することはできない。」としている。しかし、違法または不当な公正競争規約の認定による最大の被害者は、個々の消費者であり、この最大の被害者がなんらなすこともできずにその被害に耐えてゆかねばならず、一方当該公正競争規約の利益にあずかる事業者は、本来法律上許されてはならない自由を享受しつづけるという状態が著しい不正義ではなくてなんであろうか。原判決は、上告人が原審において第一準備書面第三章、五において述べた消費者に不服申立ての資格を認めない場合の不合理につきなんら具体的理由を述べず判断を下した誤りがある。

8 なお、行政不服審査の二つの目的のうちの一つである「行政の適正な運営の確保」の観点からは、一般消費者が不服申立にもつとも適した立場にある(今村成和「消費者の権利と不服申立資格」ジユリスト第五七〇号九一頁)ばかりでなく、もし一般消費者に不服申立ての資格を認めないとすると、前に述べたところから明らかなように、少なくとも消費者に不利益な違法処分については、「行政の適正な運営の確保」は常に期待できないこととなろう。

三、「一般消費者の利益」の解釈の誤り

1 原判決は、公正競争規約の、「認定に対し不服申立の資格を有するのは、右認定によつて自己の法的に保護された利益を害された者又は必然的にこれを害されるおそれのある者でなければならない」という前提に立ち、そこでいう「利益」について、「法規の適正な適用において国民の一人としての個人が他の人々と共通してもつ利益は、個人的利益ではなく、一般的利益であつて、このような利益は本来私人等特定の権利主体の権利・利益を個別に保護するためにある争訟制度によつて保護されるべき利益ではない」と判示する。

そして、「一般消費者の利益とは、国民の消費者としての面に着目して消費者である限り何人でももつ利益をいうものであり、消費者たる各人が他の消費者と全く同様に共通して有する利益であつて、その意味でこれを他から区別して特定の個人が特別に有する利益ということはできず、究極において公益ないし国民一般の利益というに帰する」と述べ、原告らの利益侵害の主張に対しては、原告奥むめおについては、「原告奥むめおの主張する権利ないし利益なるものは、すべて消費者一般に通ずる権利ないし利益であつて、他から区別されるべき特定の個人的利益とはいえない」と判示し、原告主婦連についても、「同原告が具体的な個人的権利ないし利益の侵害を前提とするものであるとすれば、その侵害されるおそれのある権利ないし利益は具体的かつ個人的なものであるといいえないこと前記のとおりである」と判示している。

2 しかし、原判決の右見解は、一般消費者の利益を「公益ないし国民一般の利益」と同一視した点において、景表法上の一般消費者の解釈を誤つているといわなければならない。

3 まず、「一般消費者」とは、「消費生活のために商品や役務を購入する者、すなわち、最終的に消費する者をいう」(吉田文剛編・前掲書二〇〇頁)のであるが、景表法上、不当表示から保護される対象としての一般消費者というのは、決して「国民一般」という存在ないし概念と同じものではなく、商品・役務の種類に対応した多数の、大小さまざまな種類の「一般消費者」が存在するのである。

より具体的にいうとこうである。「商品や役務のうちには、これを利用する者の範囲が限られているものがあるが、その場合には、その需要者一般がそれについての一般消費者であり」(吉田文剛編・前掲書二〇一頁)、例えば、「医学的にみて身長を伸ばす効果をまつたく有していない器具に、『身長器』の名称を付し、これを使用すれば容易に身長を伸ばすことができる旨の広告をしていたことが不当表示とされたが、この場合の『一般消費者』としては、背の低いことに引け目を感じており、なんとかして身長を伸ばしたい気持を強くもつている人々である」(同上)。このように、商品・役務の種類ごとに、国民一般というような抽象的存在から区別された固有の範囲をもつ「一般消費者」が存在するのであつて、その各々の「一般消費者」の利益は、いうまでもなく、他の「一般消費者」の利益とは区別された、そのクラスないし集合を構成している個々の消費者の固有の利益なのである。なるほど、例えば、大学受験参考書の広告について不当表示を問題にする場合、この商品に対応する「一般消費者」の人数は、比較的小さく、果実飲料という商品に対応する「一般消費者」に含まれる者の人数は、これよりはるかに大きいであろう。それは、人数の点では、「国民全体」に近づいてくるかもしれない。しかし、それは、単なる人数の大小の差にすぎないのであつて、それぞれが国民全体とは別個・個有の「一般消費者」を形作つているということには変りないのである。本件において、果実飲料の「一般消費者」は、判決も正しく指摘しているように、「果汁等を飲用するという点において、その他の飲料の消費者と区別された特定範囲において「国民一般」や「身長機の一般消費者」等と明確に区別された存在であり、果実飲料の一般消費者の利益も、この商品の表示との関係において果実飲料の消費者のみが特別に有する、固有の利益であつて、身長機の一般消費者が身長機の表示との関係において有する利益や、まして国民一般が商品の表示一般に対して有する抽象的な利益とは区別されたものであることは明白である。原判決がこの点を看過して、上告人らが果実飲料の一般消費者として有する利益を漫然と「公益ないし国民一般の利益」ととらえ、従つて個別的利益でないと結論したのは、景表法の下における公正競争規約の認定の違法性を問題にする場合の果実飲料の一般消費者の意味を誤つて理解したことに由来するものであり、この点の解釈の誤りが、原判決の結論に影響を及ぼすことは、いうまでもない。

4 なお、原判決が「他から区別して特定の個人が特別に有する利益」の存在が必要であるという場合に、このような個人が一人だけである必要はなく、複数存在していても差し支えないことは、いうまでもないであろう。このことは、ある地域に住む住民の一人が大気汚染によつて生命又は身体に被害を受けたとして救済を求めた場合に、国民各人が、生命・身体を犯されない利益を他の人々と共通してもつからといつてその者の救済が否定されることがないのと同様であり、また原判決が利益侵害の特殊性をいうのであればその地域に住む住民の全員が同じ被害を受けている事実があつたとしても、その利益侵害の共通性によつてその者の救済が否定されることがないのと同様である。問題は、同種の利益をもつ者が他にも多数いるかどうかという、または共通の利益侵害を受ける被害者が他にも多数いるかどうかという、数の多少ではない。叙上のように、原告らが果実飲料の消費者としての自己の利益侵害を主張しており、果実飲料の消費者としての利益というものが抽象的な公益ないし国民一般の利益ではなくて、特定の性格をもつた個々の消費者がもつところ固有かつ具体的な利益であることを考えるならば、原告らの主張する利益侵害が同一の性質をもつた他の消費者たち(果実飲料等の一般消費者)のそれと共通であつても、そのことが不服申立て資格を否定する理由にならないことは、明白である。もつとも、さらに詳細に検討すれば、原告らの主張する自己の利益の侵害は、もしその程度を金銭等なんらかの尺度を用いて評価したとすれば、同じ果実飲料の一般消費者という集合の中においてさえ、この集合に属する他の人々の利益侵害の程度とは異なるものであり、決して同一ではないであろう。

5 さらに、原判決は、右に引用したように、「なる程、果汁等飲料の消費者は、果汁等を飲用するという点において、その他の飲料の消費者と区別された特定の範囲の者であるということはできようが」と判示して、果汁等飲料の消費者が「国民一般」とは区別されることを正しく指摘していながら、右に続いて、「しかし、右の者らも結局は果汁等飲料の消費者にすぎないのであるから、果汁等飲料の消費者を右のように区別してみても、そのことによつて当然にはこれらの者から区別された特定の権利者とすることにはならず、所詮広狭の差にすぎない。このことは、果汁等飲料が普及し、その飲用者が多数であるという現下公知の事実に照らして考えるといよいよそうである」と判示して、右に挙げた最初の部分と反対の結論を述べている。

6 しかし、果汁等飲料の消費者が他の飲料の消費者と区別された特定の範囲の者であることを認める以上、それがなぜ「他から区別された特定の権利者」にならないのか、右判示の「しかし」以下を読んでみても、全く説明の体をなしておらず、理由不備の違法を免れない。すなわち、果汁等飲料の消費者は、果汁等飲料の消費者に「すぎない」と言いかえてみたところで、果汁等飲料の他の飲料等の消費者さらには他の商品の消費者とは区別された特定範囲の者であること、また、果汁飲料等の不当表示から保護されるという意味において他の商品の消費者の有する利益とは区別された独自の利益ないし権利を有することを否定する説明には全然ならないのみならず、果汁等飲料の「飲用者が多数である」ということも、単に数の多少の問題であつて、右の部類に属する消費者が他と区別された利益を有することを否定する論拠にならないこと、前述のとおりである。それとも、原判決は、単に数の多少に注目して、果汁飲料の消費者のように、利益侵害を受ける消費者の数が「多数」である場合には、特定の権利者にはならないが、身体障害者用の車いすの表示に関する公正競争規約が認定された場合には、そのような種類の商品を利用する一般消費者は「少数」であることが「現下公知の事実」といえるであろうから、その場合には、消費者に不服申立ての資格があるというのであろうか。このようにみてくると、原判決の右判示部分が理由不備であること、ないしは、果汁等飲料の消費が特定範囲の者であつて、他から区別された特定の利益を有することを見失つたために誤つた結論に到達していることが明らかである。〈以下、省略〉

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